東京高等裁判所 昭和49年(行ケ)128号 判決
一 請求の原因(一)ないし(三)の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、審決を取り消すべき事由の有無について検討する。
(一) 審決が本件特許発明を無効とした事由は、前記審決理由の要旨に示すとおりであり、審決の判断は次に述べる訂正前の特許請求の範囲に基づく要旨認定を基礎とした判断であることは審決の趣旨から明らかである。
(二) ところが、請求の原因(四)1は当事者間に争いがない。
右争いのない事実によると、本件特許発明の明細書の特許請求の範囲における本件第一発明の反応式中カツプリング成分のYの定義は、訂正前の「Yは水素、塩素、臭素、低分子アルキルまたはアシルアミノ」から「Yは水素、塩素、臭素または低分子アルキル、またはXがニトロ基の場合だけアシルアミノ」となり、ジアゾ成分のXがニトロ基(―NO2)の場合だけカツプリング成分のYがアシルアミノ基(―NHCO―R)を意味することに、出願時に遡つて限定されたものと解される。
(三) そこで、右訂正が審決の適否にいかなる影響を及ぼすかについて考察する。
1 右訂正により本件特許発明におけるジアゾ成分とカツプリング成分の組合わせに変更を来し、本件特許発明の要旨として審決認定のものが妥当しなくなつたことは明白である。
2(1) そうすると、審決の判断中、ジアゾ成分としてXがシアン(シアノ基)である場合で、カツプリング成分については一般式の第三級アミンにおいてYがアシルアミノ基をあらわす場合には引用例記載の発明を含むとしてこのことを本件特許発明の無効事由としている部分は、その判断の基礎に、結論に影響を及ぼす変更があつたことにより、これを正当といえなくなつたことは見易い道理である。
(2) つぎに、審決の判断中、「その余の成分を使用する場合」は引用例に記載された発明に基づいて容易に発明できたと判断した部分の当否が右訂正によつて左右されることがないといえるかどうかについて考えてみる。
審決にいう「その余の成分を使用する場合」とは、文理上、審決が認定した本件特許発明の要旨中引用例に記載されていると指摘された成分すなわちジアゾ成分のXとしてシアノ基(―CN)、カツプリング成分のYとしてアシルアミノ基を用いた場合を除くその余の場合を意味すると一応解されるが、具体的な説明がなされていないため、審決は、XとYとの組合わせ中Xがシアノ基でYがアシルアミノ基の場合を除くその余の一切について進歩性を否定したものか、あるいは進歩性があるとは認められないものを一部に含んでいると判断したものか、判然としない。
もし、前者だとしたら、訂正後の本件特許発明は審決によつて進歩性を否定された範囲に含まれていることになるが、後者だとしたら、進歩性を否定された部分は訂正によつて減縮された部分に含まれているのか、残存部分に含まれているのか全く不明である(訂正前の発明の要旨と訂正後の特許請求の範囲を対比して考えると、XとYの組合わせとして、訂正前は30の組合わせがありえたのに、訂正後は25の組合せに減縮されたことになるから、審決によつて引用例に記載されているものと認定された組合わせのほかにも四つの組合わせが減縮されたと解される)から、訂正によつてもなお審決の判断が妥当すると当然にはいえない。また、前者だとしても、審決は、進歩性が認められない理由として「その余の成分」は訂正前の発明の要旨中引用例記載のものと一致すると指摘した成分(ジアゾ成分中のXがシアンの場合でYがアシルアミノの場合)と相互置換容易の化合物で、その余の成分を使用する場合に生成する染料も上記の成分を使用した場合と同価値のものと認められると述べているだけで、その具体的根拠を示していないから、審決の判断を正当として是認するに由ないものといわざるをえない。(なお、そもそも、特許発明がその一部について引用例記載のものと同一のものを包含する場合、その発明はそれだけで全部無効とすべきものであるから、本来その余の部分の判断を必要としない筈であり、進歩性が認められない旨の前記判断部分は、新規性が認められないから無効であるとした前記判断部分に付随的に傍論として付加したとみる余地がなくはなく、新規性を否定した前記判断部分が訂正によつて正当として是認できなくなつた以上、右付随的判断のみによつて審決を正当とすることができるかどうかは疑問といわざるをえないのである。)
(3) 本件第二発明は第一発明と同一の非水溶性モノアゾ染料を製造する方法であるが、第一発明では最初からエステル化されたカツプリング成分を使用しているのに対して、エステル化されていないモノアゾ化合物を原料としこれをエステル化して目的とする染料を得る方法であり、第一発明との相違点はカツプリング成分である第三級アミンについてはカツプリング終了後にエステル化を行う点にあるに過ぎない。
そうすると、第二発明についての審決の判断は、第一発明についての審決の判断が正当であることを前提とすることは多言を要しないから、前記のように第一発明についての審決の判断を正当として是認できない以上、これを正当として是認できない。
(四) 結局、右のように訂正によつてもなお審決理由に示された判断が妥当するといえない以上、審決は違法として取り消しを免れない。
(五)1 被告は、事実欄二(二)2の主張について当審で実体的審理判断がなされ、審決の示した無効事由が妥当しなくなつたという裁判所の判断があつたときはじめて無効審決が取り消さるべきであると主張するけれども、訂正後の発明と引用例記載の発明について特許庁による専門技術的な見地からの対比判断を経ないで裁判所が独自の立場から右の点について判断することは、特許性の有無に関する紛争についてはまず特許庁の審判手続を経、その審決に不服がある場合にのみ当裁判所に出訴しうるとした法の趣旨を没却することになるから、被告の右主張は採用できない。
2 また、たとえ原告が訂正審判請求を反覆し、その結果、無効審判手続や本件訴訟手続の進行がおくれたとしても、そのこと自体は手続の運用の問題であつて、無効審判手続における審理判断を経ていない事項について裁判所が独自に審理判断しうるという根拠とはなりえない。
また、このように解して本件審決を取り消した結果、無効審判手続係属中に本件特許の存続期間が満了しても、被告としてはなお、本件特許が有効か無効かの審決を求めうるのであり、これに対して取消訴訟を提起する途もあるのであるから、被告の裁判を受ける権利が否定されるわけではない。
三 よつて、原告の本訴請求を認容することとする。